清酒

日本酒の発がん性物質と酵母の育種~カルバミン酸エチルときょうかい1901号~

目次

introduction

 突然ではあるが、清酒に発がん性物質が含まれていることはご存じだろうか。別に含まれていること自体に驚きはない。どのような食品であれ、体に悪いものはある程度含まれているものだ。ジャガイモやフグなど有名なものもある。水ですら致死量というものがある以上まったく無害という物はないだろう。

 話が逸れたが、清酒に含まれる発がん性物質はカルバミン酸エチルというものである。カナダではこの物質の含有量を規制しており、清酒がその規制に引っかかったことから対策が行われた。その対策の1つとして酵母の育種が行われている。本稿ではカルバミン酸エチルの簡単な説明と酵母の育種について調査したことを紹介する。

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カルバミン酸エチルとは?

概要

 カルバミン酸エチルはウレタンとも呼ばれる。単純な化学構造をしており、1834年には人工的に合成できたとの報告がある1)。今でこそ発がん性物質として知られているが、当初は制がん剤、催眠剤、鎮痙剤、実験動物用の麻酔剤としても使用されており2)、毒性についての知見はほぼ無視されていた。1975年までは注射薬に使用されていた程である。

 カルバミン酸エチルの発がん性についてはショウジョウバエや大腸菌などでたまに報告されている。決定的であったのは1953年にマウスで肺がん、皮膚がんが報告されたことである。その後、多くの臓器でのがんの発生を誘導することが明らかになっている3)

 ちなみに、国際がん研究機関(IARC)において、平成19年に(おそらく発がん性があるとされるグループ)に分類された物質であり、国税庁は酒類総合研究所と協力して対策を講じている。今回紹介する酵母の育種は、この対策の1つである。

特性

 カルバミン酸エチルは実験動物で強い発がん性を持つが、その本体は明らかになっていない物質である(人間で強い発現性を持つことの証明ではない)。Amesテスト(化学物質がDNAを傷つけて微生物に突然変異を誘起するか否かを調べる試験)で発がん性を検出できない例外物質の1つである4)

 ショウジョウバエを対象にした研究では一般的に知られる強力な発がん性物質(methylcholanthrene, Dimethylbenz[a]anthracene)の10倍以上の高い頻度で遺伝子の変異を引き起こす物質であることが明らかになっている5)

 

アルコール飲料中でのカルバミン酸エチル生成メカニズム

 アルコール飲料中でのカルバミン酸エチルは添加されたジエチルピロカーボネートがアンモニアと反応して生成されるものである。ジエチルピロカーボネートは欧米で殺菌剤として使用が許可されており、ビール、ワイン、果汁などに広く利用されていた。水溶液中で不安定であり、水と反応してエチルアルコールと炭酸ガスに分解されるので、安全であると確信されていたために、使用が許可されていたのである。ちなみに、日本では許可されていなかった。後に、食品中の常在成分であるアンモニアと反応し、カルバミン酸エチルを生成することが明らかになり、使用が禁止された3)。しかし、ジエチルピロカーボネートを使用していないはずの日本酒からもカルバミン酸エチルが後に検出され、日本でも問題となる。

 ジエチルピロカーボネートを使用していない日本酒でなぜカルバミン酸エチルが生成されるのか。カルバミン酸エチルの構造から考えると、エチルアルコールが関与することはまず明らかである。また、エチルアルコールと反応し、カルバミン酸エチルを生成する物質として、ウレイド(尿素イオン、カルバミドとも)が推定された。これはカルバミン酸エチルがエチルアルコールと尿素が結合した構造を持つエステルであることから容易に想像できる。

 ちなみに、エチルアルコールと反応してカルバミン酸エチルを生成する物質は尿素以外にも存在する。それらについてどれだけカルバミン酸エチルが生成されやすいかについての調査がある。その結果から、尿素が明らかにカルバミン酸エチルを生成しやすいことが明らかになった6)。また、清酒に含まれる尿素の量を調べたところ、純米酒で平均27.5 ppm、本醸造酒で平均19.8 ppmであるとのことだ(1987年産)。ちなみに、ワインでは平均2.88 ppmであり、ビールと蒸留酒では検出限界以下だったとのことである3)。また、清酒とワインに尿素を添加し、カルバミン酸エチルがどれだけ生成するのかについての調査では、尿素の量とカルバミン酸エチルの生成量は比例することが明らかになっている3)

原因物質、尿素の由来

 カルバミン酸エチルが生成される原因として尿素が大きくかかわることが明らかになったが、いったいこの尿素はどこから来るのだろうか。

 清酒の醸造過程での尿素の増減に関する調査では、醸造5日目以降上昇し続け、17日目には40 ppmに達したとの報告がある。また、清酒には尿素を分解する酵素、ウレアーゼの活性が検出されていない。つまり、日本酒において尿素は避けようのない混入物であるということを示している3)

 清酒の主原料は米であるが、米自体に尿素はほとんど含まれていない7)。しかし、尿素の原料となるアミノ酸、アルギニンを豊富に含んでいる。また、清酒酵母はアルギニンをアルギニンを尿素に変換する酵素、アルギナーゼを生産することが知られている。分離された清酒酵母による実験でアルギニンを添加した培地で尿素を作ることが明らかになっている8)

 以上から、清酒酵母が尿素の由来であることはほぼ間違いない。

協会1901号の育種

 清酒における尿素の由来は酵母であることはほぼ間違いないが、酵母がいなくては酒にならない。そのため、尿素を生産しない酵母の育種が試みられた9)。具体的には、アルギニンを尿素に変換する酵素であるアルギナーゼが欠損した株の分離が試みられている。現在、アルギナーゼ欠損株としてKArg701号・901号・1001号・1401号・1701号・1901号として日本醸造協会から頒布されている。

 また、酵母の育種以外の方法としてウレアーゼを清酒醪に添加するという方法がある。しかし、酵素の添加は消費者に敬遠されることが多いとのことである。

取得の原理

 アルギナーゼ欠損株を取得する方法として、CAO培地を使用した選択が主に行われる。変異処理した酵母をこの培地に接種し、形成したコロニーについて、さらに窒素源がアルギニンのみの培地で生育せず、オルニチンのみの培地で生育するコロニーを選抜することでアルギナーゼ欠損株を得ることができる。しかし、この原理については文献を遡ることができず分からず仕舞いである。ただ、アルギニンを基質としたアルギナーゼの反応では尿素とオルニチンが生成する。このオルニチンが代謝上重要な物質なのだろうか(誰か教えてくれ…)。

 尿素への対策としてアルギニンの取り込みに関係する酵素を欠損させた変異株と、尿素をアンモニアに分解する酵素のフィードバック阻害を解除した変異株の取得も試みられている。これらは尿素の量を1/2から1/3にできたが、完全に無くすことはできなかった。一方でアルギナーゼ欠損株は尿素を完全に無くすことができ、カルバミン酸エチルの対策として最も優良である。

利用

 アルギナーゼ欠損株は海外輸出向けの商品に利用されることが多いようである。とはいえ、酵母を前面に押し出した商品というのも少ないため、本当のことであるのか分からない。今回見つけることができたのは「飛良泉 純米大吟醸 1901」という酒である。ただ、酒蔵の公式ページにこの商品の情報が無く、裏取りができなかった。他の酒についても同様である。酒屋のページでは1901号を使用しているとの記載があるものがいくつか確認できたが、酒蔵のページでは確認できなかった。

最後に~酒と育種の方向性~

 清酒酵母の育種は”特徴を付け加える”ために行われるのが大半である。これはビール酵母に対して行われる”欠点を無くす”育種とは逆の方向である。今回取り上げた育種は清酒の欠点を無くすという珍しいタイプの育種である。清酒は原料を使って微生物の力を引き出す酒であるのに対し、ワインやビールは微生物を使って原料の力を引き出す酒である。この違い故に必要な微生物が多く、様々な問題にぶつかってしまうのだが、そこが清酒の醍醐味であるような気もしなくはない。

 清酒に関係する微生物は大きく酵母と麹菌である。 酵母の育種は酒質に直接影響するために注目されがちである一方、麹菌は影が薄いような気がしてしまう。今後は麹菌の育種についても調べてみたいと思う。

参考文献

1) J. Dumas, Ann., 10, 284 (1834).

2) T. Nomura, Cancer Res., 35, 2895 (1975).

3) 小橋恭一, 衛生化学, 35, 110 – 124 (1989).

4) E. Boyland, R. Nery, Biochem J., 94, 198 (1965).

5) T. Nomura, Cancer Res., 39, 4224 (1978).

6) C.S. Ought, E.A. Crowell, B.R. Gutlove, Am. J. Enol. Vitic., 39 ,239 (1988).

7) S. Tanabe, et al., J. Agric. Food. Chem.,(1988)  submitted.

8) P.A. Whitney, et al., J. Bio. Chem.,(1988)

9) 蓮田寛和, 日本醸造協会誌 , 109 (8) 576 – 581 (2014).

ABOUT ME
Kana _発酵食品と微生物ch
学生の時は花酵母の研究に関わっていたこともあります。 一応修士号は取っていますが、今は研究はしていません。文字を書くことが好きで、ブログ、YouTubeで発信をチビチビしています。 youtube(毎週金曜日更新): https://www.youtube.com/channel/UCvhO8xU9VZFwfgjdtRpxlRA