目次
introduction
酒造りにおいて酵母はアルコール発酵を担う微生物として紹介される。もちろんそれに間違いはない。しかし、清酒において酵母はそれ以上の価値を生み出す微生物である。なぜなら、香りのほとんど無い原料に香りを付与するという重要な役割を担うからである。
清酒に含まれる香気成分は酵母が作る。特に清酒の香りの根幹をなす物質として高級アルコール、エステルがあり、これらを多く生産する酵母が多く分離、育種されてきた。本稿では、これら香気成分の生成メカニズムと、酵母の育種方法について紹介したい。
(香気成分そのものついてはこちらの記事も参考にしていただきたい。)
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高級アルコール高生産酵母の育種
高級アルコールの生成経路は実質的に2つである。
1つ目がElirich経路を介した二次代謝である。菌体外部から取り込んだアミノ酸が高級アルコールに変換される経路である。
2つ目はアミノ酸生合成経路を介した生成である。グルコースからアミノ酸を生成する経路であるが、途中でElirich経路に入ることで高級アルコールが生成される。
2つ目の経路では、アミノ酸が豊富にある状態ではフィードバック阻害により反応が止まってしまう。つまり、「これ以上アミノ酸はいらないから余分に作らなくていいよー」ということを自動で判断しているのだ。そのため、高級アルコールのほとんどはElirich経路を介して生成される1)。
清酒醪に供給されるアミノ酸は米由来のものと、麹菌由来のものがある。Elirich経路による高級アルコールの生成を増やすには、供給するアミノ酸を増やすしかない。しかし”アミノ酸は雑味の原因となるのでなるべく減らしたい”というのが本音である。
つまり、清酒中の高級アルコールを増やすにはアミノ酸生合成経路のフィードバック阻害を何とかして解除するしかないのである。
また、高級アルコールの生成能を増強することでエステル生成量も増加する。これは酢酸イソアミルなど一部のエステルは高級アルコールから生成されるためである。
・フィードバック阻害の解除の考え方
では、どのようにフィードバック阻害を解除するのか。この問題はアナログへの耐性を獲得させることで克服することができる。アナログとは”似ているけれど微妙に違う物質”のことである。通常、アナログが存在する状態では酵素反応が進まず、生命維持に問題が出てしまい、死滅する。
しかし、そのような異常な状態でも生命を維持できるような酵素の変化(遺伝子の変化)が起こればフィードバック阻害が解除され、普通よりも過剰に反応が進むはずであるという考え方で育種が行われてきた。
・清酒酵母で行われてた実験
考え方を紹介しただけではイメージは難しい。酵母で行われた実験を紹介する2)。
まず、元となる清酒酵母に対して突然変異を起こさせる。つまり、DNAに傷をつける。これには紫外線や発がん性のある薬物などが使用される。本稿で参考にした文献ではメチルメタンスルフォネートという発がん性物質が使用されていた。
その後、液体培養などで菌体を大量に増やし、集め、菌体を洗浄する。これは菌体表面に付着したアミノ酸を取り除くためである。その後、アナログを添加した”アミノ酸を含まない”寒天培地に酵母を接種する。生き残った(耐性を獲得した)コロニーをピックアップすることでフィードバック阻害が解除された酵母を得ることができる。
使用されるアナログには様々なものが報告されている。また、生成量を増やしたい高級アルコールによって解除しなければいけないフィードバック阻害が異なるため、様々な分離法補が考案されている。
イソアミルアルコールの生成量を増やす目的では5,5,5-トリフルオロロイシン、4-アザ-DL-ロイシンが使用され、β-フェニチルアルコール(バラ様の香り)の生成量を増やす目的ではβ-フルオロフェニルアラニンが使用される1)。
・作成例
ここでは、紹介した方法で選別された酵母にどのようなものがあるのか紹介したい。本当であれば実用化された酵母を紹介したいのだが、実用化の報告はほとんど見つからなかった(このブログを読まれた方で実用化された酵母を知っているという方はぜひ教えていただきたい)。そこで、今回はどのような酵母が作られ、試験されてきたのかを紹介したい。
・5,5,5-トリフルオロロイシンを使用した育種
5,5,5-トリフルオロロイシンを使用した育種では、イソアミルアルコールの生成量を増やすことができる。しかし、実際にはイソアミルアルコールを出発物質として生成される酢酸イソアミルを増やす目的で育種される場合が多いようである。
代表例としてはきょうかい1701号酵母がある。これはカプロン酸エチルの合成能も同時に強化している酵母であり、実際に頒布されているものである3)。また、長崎県の「五島つばき酵母」や醤油の熟成に利用される酵母がこの方法で育種されている4,5)。
エステル高生産酵母の育種
エステルはいわゆる吟醸香と呼ばれる香りを形作る物質である。主なものとして酢酸エチル、酢酸イソアミル、カプロン酸エチルがある。
酢酸エチルはエタノールと酢酸が、酢酸イソアミルは高級アルコールであるイソアミルアルコールと酢酸が結合した物質である。そのため、基本的にはアルコールとイソアミルアルコールの量を増やすことでこれらのエステルは増加する。そのため、本記事では主にカプロン酸エチルについて触れることとする。
カプロン酸エチルを増やすための方法として2通りのアプローチがある6)。
1つ目のアプローチは”カプロン酸エチルを直接合成している酵素の機能を上げる”というものである。もっとも直接的な方法ではあるが、この酵素(アルコールアシルトランスフェラーゼとエステラーゼと呼ばれる酵素)の機能に関して十分な解明が行われていない。そのため、これら酵素の機能が上昇した酵母の取得方法について検討されていない。そこで、2つ目のアプローチを採るのが一般的である。
2つ目のアプローチはカプロン酸エチルの原料である”カプロン酸の量を増やす”というものである。清酒中のカプロン酸は酵母によって合成されることが明らかになっている。そして、カプロン酸は脂肪酸合成経路から分岐して合成される。つまり、脂肪酸合成経路を活性化できればカプロン酸が増えるのではないかという考えのもと育種が行われてきた。
そして、カプロン酸を増加させる方法として、脂肪酸合成酵素の阻害剤(酵素と結合し、機能をとめてしまう物質)への耐性を獲得させることが検討され、実施されてきた。
・セルレニン耐性とカプロン酸の生成
セルレニンの影響は脂肪酸合成全体へ及ぶ。そのため、セルレニン耐性を持ったとしてもカプロン酸だけが特異的に増えるということはない。最終的に合成される脂肪酸の内容が変化するというだけである。
カプロン酸はアセチルCoAとマロニルCoAから合成される。これらは脂肪酸を作るための出発物質である。通常、アセチルCoA→マロニルCoA→アセトアセチルACP→→→(たくさんの繰り返し反応)→→→→→パルミチン酸(炭素数16、栄養の体内循環に必要な脂肪酸)と変換される。カプロン酸は炭素数6の脂肪酸であり、反応が途中で止まるような変異が起こることが望ましい。
つまり、マロニルCoA→アセトアセチルACPが弱くなればカプロン酸の原料が増え、結果的にカプロン酸、カプロン酸エチルの生成量が増える。このような考え方のもと、育種方法が考案されている。
・作成例
セルレニン耐性を付与することでカプロン酸エチルを高生産することを可能にした酵母は多く実用化されている。ここではその一部を紹介する。
まずはきょうかい酵母から、じっさいに頒布されている1701号酵母がある3)。また、「名大さくら酵母」というものがある7)。これは自然界から分離された酵母にカプロン酸エチル高生産能を付与したものであり、いわゆる花酵母を改良した酵母である。この酵母はアルコール発酵能は弱いものの、程よい風味を付与することでワインのような清酒になったとのことである。このような挑戦的な育種が進むと酒類業界はさらに面白くなるだろう。
これらのほかにも高知県工業技術センターでの開発報告8)や、月桂冠の特許報告9)で確認することができる。
特に、月桂冠の特許報告では吟醸香を高生産する酵母でパンを作った際、良い評価を得られたという報告があり、清酒以外の産業用酵母でも育種が進むと面白い。
育種というアプローチ~酵母とうまく付き合う酒、日本酒~
清酒において酵母の重要性は他の酒よりも重いものだと思われる。これは酵母が作る香りが重要視されるからである。重要な存在である酵母の開発は、優秀な物を分離、頒布するというものだけであった。これは初期のきょうかい酵母や花酵母の発想である。
分子生物学の発展により、育種という新たな選択肢が生まれてきた。これは人工的に優秀な酵母を生み出そうという発想である。今までそのような発想がまったくないわけでは無かった。植物や動物では「掛け合わせ」という方法で新品種を生み出してきたが、清酒酵母でそれは難しかった。なぜなら掛け合わせるための1倍体が手に入りにくいのだ。清酒酵母は2倍体であり、掛け合わせるためには減数分裂していただくしかないのだがそれが難しい。これは清酒酵母特有の高いアルコール発酵能と関係するのだが、これは別の話。とはいえ、酵母の代謝の詳細が明らかになるにつれて今回紹介したような育種方法が考案されるようになった。
とはいえ、既存の育種方法では革新的なまったく新しい酒を作ることは不可能である。どこまで行っても”既存の酵母が持つ優秀な特性を与える”ことしかできない。近代的な育種と伝統的な分離が組み合わさることで新しい酒がいつか生まれることを楽しみにしている。
今回は伝統的な育種方法について紹介したが、エステルの生成に関わる遺伝子も明らかになっており、どこが変異すれば好ましい形質を得ることができるのかが明らかになってきている。今後、どのような育種方法が開発されるのかにも注目していきたい。
参考文献
1)小金丸和義ら : 日本醸造協会誌, 98巻, 第3号, p201-209(2003)
2)市川英治 : 日本醸造協会誌, 84巻, 第3号, p166-170(1989)
3)稲橋正明 : 日本醸造協会誌, 96巻, 第10号, p679-687(2001)
4)松本周三ら : 五島つばき酵母を活用した加工食品の開発(2018)
5)松田章 : 香気性味噌酵母の開発,(株)ヤマト醤油味噌平成10年度研究報告, Vol.48
6)市川英治 : 日本醸造協会誌, 88巻, 第2号, p101-105(1993)
7)黒田俊一 : 生物工学会誌, 89巻, 第10号, p624-625(2011)
8)甫木嘉朗ら : 高知県工業技術センター研究報告(2017)
9)市川英治 : 香気成分高生産酵母, 特許第4900746(2012)