ビール

ビール酵母の育種に関する調査

 清酒では酵母に対して長年アプローチを続けてきた。はじめに良い酒を造る酒蔵から酵母が分離され、次に香気成分を多く作るような育種が行われた。今ではこれらの方法に加えて自然界からまったく新しい酒を作る酵母を分離する試みが行われている。このような取り組みが行われ続けてきた清酒は、酵母に対して熱心な酒であると考えている。では、他の酒ではどうだろうか。

 私はあまり詳しくないのだが、ビールやワインで酵母の育種という言葉は聞いたことがない。メーカーも宣伝するのは麦やホップであるように思う。これらは清酒でいうところの麹、乳酸に相当すると考えられる。清酒には「一麹(いちこうじ)、二酛(にもと)、三造り(さんつくり)」という格言がある。これは酒造りにおいて重要な要素の順番を示している。

 ビールにおける麦(麦芽)が麹、ホップが酛(酛で酵母が正常に増殖するには乳酸が非常に重要である)に相当するものであると考えるのならば、これらに注力するのは当然の考えであると思う。

 では、最後に残った造りに関係する酵母に対してどのようなアプローチがされているのだろうか。今回はビール酵母の育種について2つの文献を見つけることができたので、これらについて紹介したい。

にほんブログ村 酒ブログ 酒のウンチクへランキングに参加しています。もしよろしければクリックしていただけると幸いです。

目次

ビール酵母の育種

・育種の目的

 ビール酵母の育種はオフフレーバーを消すことを目的に行われている。清酒酵母ではフレーバーの付与を目的に行われているのを考えると真逆の方向である。

 酵母が作るビールのオフフレーバーとして主にジアセチルと硫化水素臭がある。ただ、ジアセチルについては通常、醸造用酵母で正常な発酵が行われていれば発生しない。

 そのため、今回は下面発酵酵母の硫化水素臭についての報告について取り上げる。

・育種方法

 ビール酵母、特に下面発酵酵母の育種は主に薬剤や紫外線照射による突然変異やプロトプラスト融合がある。薬剤耐性や紫外線照射については以前の投稿で厚かったことがあるので、こちらも参考にしていただきたい。

 プロトプラスト融合とは簡単に言うと2つの細胞を融合させ、DNAをミックスするという方法である1)。一方の細胞には目的の特性(今回は硫化水素を発生しないという特性)を持たせ、もう一方の細胞は元の細胞(ビール酵母など実際に使用されてい優良酵母など)を使用することで、目的の特性を持った優良酵母を手に入れようという方法である。

 

 薬剤、紫外線照射とプロトプラスト融合どちらともDNAを変異させて理想的な特性を持つようになった酵母をピックアップするということは変わらない。これはDNAを直接扱う遺伝子組み換えやゲノム編集でも同じである。

・硫化水素を発生しない酵母の育種

 ビール酵母をはじめとするSaccharomyces属の酵母はアミノ酸を生成するために硫化水素(H2S)を必要としている。そのために外部から硫酸イオン(SO4)を取り込み、亜硫酸(H2SO3)→硫化水素に変換している。そして、興味深いのはSaccharomyces pastorianusに属する下面発酵酵母はH2Sを放出するのに対し、Saccharomyces cerevisiaeに属する上面発酵酵母はH2Sをほとんど放出しないということである2)

 これは清酒で酵母由来のオフフレーバーがほとんど問題にならないことと一致している。硫化水素臭は清酒においてもオフフレーバーとして挙げられるが、清酒酵母がSaccharomyces cerevisiaeに属していることを考えると、ほとんど問題にならないことも納得である。

 話が逸れるが、使い切れなかった亜硫酸も細胞外に放出される。亜硫酸はビールの抗酸化、つまり鮮度の維持に寄与していることが分かっている。

 このことから分るのは、H2Sの発生は覆せない現象ではなく改善が可能であるということである。実際、Saccharomyces cerevisiaeについてH2Sの生成について研究が行われ、この現象にかかわる遺伝子が見出された。

 高橋ら(アサヒビール)は上記の研究を基に、紫外線照射とプロトプラスト融合によってH2S非生産酵母を分離する研究が行われた2)。この際、分離された酵母はH2Sこそ減ったものの、ジアセチルが増えてしまい、実用化には遠かったとのことだ。

 ただ、清酒と同じく1倍体の取得が難しいビール酵母において育種の可能性が見出せたことに意義がある研究だったと考えている。

 後の研究では実用に耐えうる酵母の育種方法が考案された。吉田ら(キリンビール)はメタボローム解析を利用することで酵母の代謝を解析し、よりクリティカルな方法が考案された。メタボローム解析とは、代謝物全体を解析する方法である。これの解析を経時的に行うことで実際にどの酵素、遺伝子が代謝に関わるのかを明らかにできる。この解析から、H2Sを消費するためにはo-アセチルホモセリン(OHA)というタンパク質の中間体(反応の途中の物質)が十分量必要だということが明らかになった3)

 また、これらの代謝はアミノ酸によるフィードバック阻害を受ける反応があることが明らかになった。そこで、清酒酵母と同様にフィードバック阻害を解除する方向での育種が試みられている3)

 今回紹介する育種法では2つのフィードバック阻害を解除している。1つ目はOHAを高生産させるための阻害、2つ目は亜硫酸を高生産させるための阻害である。これはOHAを高生産させると亜硫酸の生成量が下がってしまうことが分かったからである。これではビールの鮮度が落ちやすくなってしまう。以上から、OHAを高生産させつつ、亜硫酸を十分な量生成する酵母を育種するため、2つの阻害を解除している。また、変異株を取得する方法として、優良な発酵能を維持するために紫外線照射などでDNAを破壊せず、自然変異した酵母を取得している。

 

最後に~分子生物学の発展と育種~

 今回はビール酵母の育種について調査した。清酒酵母の育種との共通点として、分子生物学の進展とともに発展していった分野であるということが考え得られる。

ただ、清酒とは方向性が真逆であることが面白いポイントである。清酒はフレーバーが無ければ無いで評価が上がる酒であるので、今後は清酒でもオフフレーバーを抑えるための育種が行われるかもしれない。ただ、清酒では酵母由来のオフフレーバーはほとんどないのだけれど…

 一昔前では1倍体を取得できなければ掛け合わせができず、育種が不可能であった。しかし、生命活動を分子の動きで説明できるようになった今、掛け合わせずとも求めた特性を手に入れられる可能性がある。また、研究と環境、消費者の理解が進めばゲノム編集された酵母が実用化されるかもしれない。トマトに関しては昨年ゲノム編集されたものが日本で実用化されている。

 正直なところ、DNAを変異させる育種ではどこの遺伝子が傷付くのか分からず、実用化されるような酵母を生み出せるのか分からない。自然界から分離してくるとしても実用化される酵母はごく少数であり、1年で1株見つかれば良いほうだろう。このようなことを考えると今後直接ゲノムをいじるというのも仕方のない流れなのだろうか。

 遺伝子組換えでも外来の遺伝子が一切残らないセルフクローニングという技術がある。この技術で作られた酵母は通常と同じように扱えるのでこちらのほうが本命であると思っている。今後、清酒酵母を対象にしたセルフクローニングについても紹介したいと思っている。

 

参考文献

1)郡家徳郎 : 日本醸造協会誌, 79巻, 第4号, p210-215(1984)

2)高橋俊明 : 日本醸造協会誌, 80巻, 第7号, p444-447(1985)

3)吉田聡 : 生物工学会誌, 89巻, 第2号, p58-65(2011)

ABOUT ME
Kana _発酵食品と微生物ch
学生の時は花酵母の研究に関わっていたこともあります。 一応修士号は取っていますが、今は研究はしていません。文字を書くことが好きで、ブログ、YouTubeで発信をチビチビしています。 youtube(毎週金曜日更新): https://www.youtube.com/channel/UCvhO8xU9VZFwfgjdtRpxlRA