清酒

花酵母で探る新しい酒~概要と開発手順~

目次

introduction

 一風変わった酒を造りたいと考えたとき、多くの方が思い浮かべる方法は酵母を変えることだと思う。酵母は清酒の香りを決める重要な要素である。清酒という名前らしく、清らかな味の酒を目指すのであれば香りを変えるしかなく、酵母を変えるという判断は合理的に思える。別のアプローチとしては麹菌を変えるという方法もあるのだが、麹菌を変えて酒質を変えるという方法は一般的には採られていないようである。

 本記事では酵母を変えるためのアプローチの一つ、自然界から新たに特徴的な酵母を分離してくる方法について見ていきたい。具体的には花酵母と呼ばれる取り組みについて調べていく。

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花酵母の概要

花酵母とは

 花酵母とは、自然界に存在する酵母のうち、花から分離された清酒用の酵母である。たまに「花酵母という名前なんだから花の香りがするんでしょ?」みたいなノリの人がいるのだが、名前の由来は分離減であり、香りではない。余談であるが、酵母の造る香気成分の1つに、β-フェネチルアルコールというものがある。この香気成分はバラ様の香りを呈するということで、バラからバラの香りを造る酵母を分離出来たらロマンのあることだろ思う。清酒の香気成分に関しては以下の記事も参照していただきたい。

清酒の香り~香気成分と生成機構~

 そもそも、酵母は自然界にいたるところに存在する。人間の肌の表面にも存在するし、樹液や花の蜜、果実など分離しようと思えば至る所から見つけることができる。ワインやビールはもともと自然に醪に住み着いた酵母によって生み出されたものである。清酒に使用されている”きょうかい”酵母は酒蔵に住み着いていた優良酵母であり、それを改良したものである。

 様々な分離源がある中で、特に花を分離源としたのが花酵母であり、東京農業大学短期大学部醸造学科酒類学研究室の田中久保教授が始めた研究である。東京農業大学が分離した酵母は花酵母研究会が管理している。

 現在では様々な企業、教育・研究機関で花を分離源とした酵母の実用化の研究がされている。

 例えば、黄桜の「黄桜 特撰 花きざくら」、名古屋大学の「なごみ桜」などがある。

 本記事では東京農大花酵母研究会が管理している酵母について紹介する。

花酵母研究会について

 花酵母の紹介をする前に、まずは花酵母の管理をしている花酵母研究会について紹介したい。花酵母研究会は花酵母を使用した酒を醸す東京農業大学を卒業した蔵元の集まりである。平成15年6月12日に創立され、試飲会「花の宴」や多くの研究会を行っている。「花の宴」は一般の人でもチケットを購入すれば参加することができる。興味がある人は花酵母研究会のホームページを確認していただきたい。

所属している蔵

 北海道、九州を除く各地域の蔵が所属しており、総数は30である。主に清酒製造をメインとしている蔵が多いが、焼酎やビールをメインとしている蔵もいくつか所属している。

 一般的に、自然界から分離された酵母は特定のブランドや地域、企業のみで使用される。しかし、花酵母研究会の花酵母は全国各地の蔵で思い思いの醸造に使用される。これが花酵母研究会の強みであると感じている。

花酵母の開発工程

①酵母の単離

 まずは酵母を見つけてこなければ話にならない。酵母の分離はいくつかのステップに分かれており、それぞについて説明していきたい。技術面にも触れているので文章量が多く、読みにくいかもしれないがついてきていただけるとありがたい。

集積培養

 花から酵母を分離するということはそれほど難しいことではない。ただ、”清酒製造に適した酵母を分離する”ということになると難易度は跳ね上がる。自然界に存在する酵母のほとんどは雑食性である。清酒酵母のような生育に一部のビタミンを必要とする酵母は少数派であり、一般的な集積培養方法では清酒酵母だけを分離することは難しい。

 そこで利用されるのが麹菌である。

 麹菌を麹汁培地と呼ばれる培地(米麹に糖化酵素であるアミラーゼ、水を加えて一晩寝かしたもの:要は甘酒である)で25日間培養すると、その培地では清酒酵母と一部の酵母しか生育できないという現象が知られている。この現象はYeastcidinと呼ばれている。おそらく、麹菌が特殊な抗菌性物質を生成しているのだと思われるが、物質の特定には至っていない。この現象を利用し、清酒酵母を分離しやすくしている。

 東京農業大学では麹汁培地に濃縮したYeastcidinが含まれる(と思われる)麴汁培地と乳酸、カゼインを加え、そこに採取してきた花を漬けている。乳酸、カゼインは清酒醸造の状態を再現するために添加されている。乳酸は酵母添加前に人工的に添加するか、乳酸菌によって生成される。カゼインは米デンプンを模しているとのことである。

 培養は25度程度で行われ、培地の糖度(Brix糖度)が一定以下になったら次の工程へと進める。

TTC還元性試験

 ここでは麹汁培地で増えた酵母が清酒醸造に適しているのかの試験の1つが行われる。

 糖度が下がった、つまり酵母が糖を消費して十分に数が増えているであろう麹汁培地を寒天培地に塗広げ、25度で培養する。コロニーが形成されたら、その上にTTC上層培地を重層しTTC還元性を確認する。

 清酒酵母はTTC還元性試験でRedを示す酵母群である。つまり、TTCを強力に還元するということである。このような酵母は一般的でなく、清酒酵母と野生酵母を判別する方法として利用されている方法である。

 清酒に適した酵母を分離するという目的であれば、TTC還元性でRedを示すコロニーをピックアップするのが妥当である。余談であるが、清酒酵母のTTC還元性をなくした変異株を取得し、醸造試験を行った研究がある。この研究ではTTC還元性がなくなった酵母では、もとの酵母と比較して清酒の味が落ちたことが報告されている。つまり、良い清酒、評価の高い清酒を造るための酵母を分離したければ、TTC還元性の高いコロニーをピックアップするのが手っ取り早いのである。

 TTC(トリフェニルテトラゾリウムクロライド)は還元されるとTFP(トリフェニルテトラゾリウムクロライド)となり、赤色を示す物質である。ミトコンドリアによって生成される水素で還元されるため、植物が元気なのかどうかの判定にも利用される染色法である。

単離(ストック)

 TTC上層培地を重層したシャーレのコロニーの部分に白金耳を突き刺し、個別に別の培地で培養し保存、ストックする。

②産膜性試験

 ここでは単離した酵母がいわゆる汚染菌と呼ばれるものなのかを確認する。

 清酒で汚染菌とされる酵母は液体培地で培養すると液面に膜を作るように生育する。Yeastcidinに耐性がある酵母にもこの特徴を有しているものがいる。

 ストックした酵母を液体培地で培養し、液面に膜をつくらない(産膜性が無い)ことを確認する。

③発酵性試験

 最後に、分離した酵母でおいしい清酒が造れるのかを試験する。

小規模発酵試験

 まず、分離した酵母がアルコールをしっかり作るのかということを確認する。

 基準は、日本醸造協会が頒布しているきょうかい酵母である。最終的なアルコール濃度が遜色ないかどうかの確認がされる。

 具体的な内容が示された資料を手に入れることはできなかったが、予想される内容を書き留めておく。おそらく総米100 g程度、1段仕込みでの仕込みであろう。容器はプラスチック容器かマヨネーズ瓶のようなものを使用していると思われる。

小仕込み試験

 最後に、小規模なスケールで清酒を仕込み、清酒酵母としての適性が判断される。

 条件は以下のとおりである。総米500 gの三段仕込みで行われ、小規模な発酵試験にしては本格的である。理由は分からないが、三段仕込みというのが重要なのかもしれない。仕込み日数は20日と一般的な清酒とほぼ同じである。 

 吟醸香などの好ましい香りや適度な酸味やうま味などがあるか、好ましくない香りや味(オフフレーバー)がないかが確認される。

④菌種の同定

 最後に菌種の同定がされる。この工程では分離した酵母を使用して売り物となる清酒を作っていいのかを確認する。地味ながら大切な工程である。

 そもそも、自然界から分離した微生物を食品製造に使用するためには安全面で多くのハードルがある。なぜなら、その微生物が安全なのかを評価するために多くの試験が必要だからだ。具体的には様々な条件で培養し、毒素を出さないことを確認する必要がある。

 ただし、これにはある抜け道があることも事実である。それは、「使用微生物がよく知られ,広く分布した非病原性の酵母,たとえばある種のSaccharomyces属である場合,またはよく性質の知られた食品に通常に存在し食品成分製造に安全な使用歴のあるものについては安全性が高いと認識される」という微生物由来の食品成分の安全性のためのガイドラインの一文である。

 つまり、”Saccharomyces cerevisiaeであることを証明できれば安全性試験はパスできる”ということである。

 Saccharomyces cerevisiaeは古くから醸造食品の製造に利用されている。そのため、菌体や生成物に重大な危険性がないとされている。そして、きわめて安全性の高いGRAS(generally recognized as safe)微生物とされている。

 以上から、分離した微生物がSaccharomyces cerevisiaeであることを確認することは商品化するうえで非常に大切なことである。

花酵母を使用した酒の紹介

 ここで、花酵母を使用した酒を紹介したい。全てを紹介することは不可能なので、一部だけであるが、興味のある方は参考にしていただきたい。ちなみに、私のお勧めは武の井酒造の「青煌」である。ふるさと納税で返礼品になっているものもあるので、各自調べていただけると幸いである。

・李白(島根)

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・武の井酒造(山梨)

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・天吹 (佐賀)

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感想①~新しい日本酒と酵母と造り手~

 酵母は清酒の酒質(特徴)を決める要素の1つである。酒質を決める要素は他にも麹、水など多くの物がある。つまり、酵母以外にも創意工夫の余地はまだまだあるということである。

 何を言いたいかというと、花酵母だけでは新しい清酒は生まれないということである。一番大切なのは作り手がどのような酒を造りたいかである。鑑評会で高評価を取れるような酒を造るのか、世間の評価に惑わされず自由に好きな酒を造るのか、それは造り手が決めることである。酵母はその手伝いをするだけである。

 近年では今までとは別の日本酒を求め、自然界から酵母を分離するプロジェクトが多く行われている。この先駆けは花酵母であることは間違いない。しかし、右へ倣えで同じことをする必要は無いと個人的には思う。というか自然界から実用化できる酵母を分離できることはほとんどない。2,3年かけたギャンブルである。そんなものを1企業ができる余裕があるのかということを考える必要もある。その中で利益を出す必要のない大学が主導で新しい酵母を分離し、頒布するのは理にかなっているし、この取り組み自体は続けられるべきであると考えている。

(風のうわさで聞いたのだが、花酵母の取り組みをしている研究室は研究室の統合で他の研究室と合併し、花酵母に注ぎ込めるリソースが減ったとのことである。個人的には花酵母の研究は学生のやりがい搾取であると思っているのでざまあみろ的な気分でいる。)

感想②〜学生が花酵母の研究をすることに関する1意見~

 先ほども少し触れたが、花酵母の研究は学生のやりがい搾取の側面があることは否めない。個人的に思う大学で、学生が、花酵母の開発を行うことの課題を挙げていきたい。

 課題①ーとにかく結果が出ないー

 まずはとにかく実験量だけ多くて結果が出ないということが挙げられる。酵母の分離自体は多くのサンプルから可能であるが、そこからきょうかい酵母と同等のアルコール発酵能を持つものがどれだけあるかということが問題である。現在では約7%であるとのことだ。そこから官能評価で実用化を検討できるレベルの酵母はさらに少ない。1年間真面目に取り組んで官能評価をパスできないということもザラである。

 課題②ーニッチな技術にしか触れられない可能性があるー

 一括りに花酵母の研究と言っても様々な研究がある。基本的には分業制である。酵母の分離をする班、官能評価をパスした酵母を比較的大きなスケールで仕込み、実用化できるのか判断する班、既に実用化されている酵母を改良する班、などなど様々な研究テーマがある。

 私が見てきた中で唯一、残念だと思う点は分子生物学に触れる機会が少ないことである。

学士で卒業してしまうのならともかく、修士号を取得する心意気があるのなら、分子生物学に一度は触れて欲しいというのが私の考えである。発酵という現象に関わる遺伝子が多く明らかになってきた昨今、遺伝子の話を完全にスルーしてしまうのはもったいない。

参考文献

・数岡孝幸:清酒製造用酵母の分離および実用化

・数岡孝幸:新規清酒製造用酵母の取得 プリンセスミチコの花酵母を用いた清酒開発

・穂坂賢ら:麹菌の生産する抗菌性物質・Yeastcidinを用いた集積培養液からの清酒酵母の分離

・稲橋正明ら:醸造用酵母の培養条件とTTC染色性

ABOUT ME
Kana _発酵食品と微生物ch
学生の時は花酵母の研究に関わっていたこともあります。 一応修士号は取っていますが、今は研究はしていません。文字を書くことが好きで、ブログ、YouTubeで発信をチビチビしています。 youtube(毎週金曜日更新): https://www.youtube.com/channel/UCvhO8xU9VZFwfgjdtRpxlRA