清酒

麹菌の造る日本酒らしさ
~エチルα-D-グルコシドの生成メカニズム~

目次

introduction

 清酒における代表的な成分として、水、アルコール、グルコースが有名である。これらの要素はその酒を特徴付けるのに大切な成分であることは間違いない。

 以前、日本酒のイベントで清酒の仕込み水を頂いたことがあり、その水を使用した清酒からはその水の風味を感じ取ることができる。また、アルコールとグルコースの比率は口当たりに大きく影響する。

 これら3つの要素は清酒というカテゴリーのなかで、その酒がどのような立ち位置にいるのかを決める要素である。では、世界のあらゆる酒の中で、日本酒というものの立ち位置を決める要素は何なのだろうか。

 原料はその一つであろう。米とカビを使用するのは清酒の特徴である。だが、それは中国の黄酒(ホアンチュウ)も同じである。では、成分というもっとミクロな世界で見てみる。清酒にはエチルα-D-グルコシド(α-EG)という成分がある。これは前述した3つの要素の次に多く清酒に含まれる成分であり、グルコースの次に多い不揮発性成分とされ、清酒というものの特徴に寄与していると考えられている1,2)

 本稿では、α-EGという物質の生成メカニズムについて触れ、世界の酒の中で、清酒というものの立ち位置を考えていきたい。

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α-EGの構造と生成メカニズム

 α-EGはα-D-グルコピラノース(α-D-グルコース)とエタノールがグルコシド結合で結合している物質である。

 単純に考えると単純に考えるとグルコースとエタノールが存在する環境下で生成しそうであるが、清酒醸造においてはそうではない。α-EGの生成に必要なのはマルトースとエタノールである3)。これはマルトースがグルコース2分子に加水分解される際、片方のグルコースに水の代わりにエタノールが挿入されることでα-EGが生成されるからである。この反応は糖転移と呼ばれる。このような反応は糖が挿入される物質を水に溶けやすくさせるなど、使用上メリットになる特性を与えることがあるため、製薬研究などでは重要な反応であるらしい。

 つまり、α-EGの生成には加水分解という前段階が必要であり、これを触媒する酵素によって生成されるのである。この加水分解を触媒する酵素はアミラーゼやグルコアミラーゼと呼ばれる酵素である(本稿ではまとめてアミラーゼ系酵素と呼ぶこととする)。しかし、全てのアミラーゼ系酵素がα-EGを生成するわけではない。糖転移を起こすにはトランスグルコシダーゼ活性が必要である。トランスグルコシダーゼ活性を持つ酵素の一例としてα-グルコシダーゼが知られている。とくに有名なのはAspergillus niger由来のもので、高いトランスグルコシダーゼ活性によってマルトースから様々なオリゴ糖を生成するのに利用されている。

清酒中でのα-EGの生成

 清酒において、α-EGは発酵工程で生成される。これは発酵で初めてグルコースとエタノールが存在する条件が揃うからである。生成量を見ると、グルコースは発酵が進むに連れて減少していくが、α-EGは発酵終了までほぼ直線的に増え続ける3)。これは酵母などの微生物が生育の過程で生成しているのではなく、システマティックな機構で生成されていることが考えられる。生物に関与しない反応機構、つまり、酵素によって生成されているということが読み取れる。この酵素を造っているのが麹菌である。麹菌の役割は米デンプンをグルコースに分解するのが役割だと説明されるが、実は一部の成分の合成も担っているというというのが面白い。

 また、このα-EGという物質は合成清酒ではほとんど存在しないことが明らかになっている3)。合成清酒は様々な製造方法があるが、清酒製造と原理的に近い酵素仕込みによって製造される合成清酒にもほとんど含まれていないということである。これは前述したトランスグルコシダーゼ活性が関係している。合成清酒に使用される酵素はタカジアスターゼ(麹菌由来のα-アミラーゼ)とRhizopus由来のグルコアミラーゼである。澱粉の分解過程は液化と糖化に分けられる。タカジアスターゼは液化、グルコアミラーゼは糖化を担う酵素である。

 α-EGの生成には糖化を担う酵素が重要である。Rhizopus由来のグルコアミラーゼはトランスグルコシダーゼ活性が無いため、α-EGが生成されない。一方、麹菌が作る糖化を担う酵素はトランスグルコシダーゼ活性を持つため、α-EGが生成する。そして、α-EGの生成に重要な役割を果たすのがα-グルコシダーゼという酵素である。麹菌は多種のα-グルコシダーゼを持つが、特にAgdAと呼ばれる酵素が重要であることが遺伝子破壊による研究で明らかになっているx)

 つまり、麹菌は清酒の清酒らしらを形作るのに重要な役割を果たすということである。清酒が「米の酒」ではなく、「カビの酒」と表現されることがあるのも納得である。

工業的な生産方法の探索

 α-EGは食品添加物として注目されるだけでなく、肌荒れを防止する効果があることが知られている。そこで、バイオリアクター(大型の培養槽)を利用した大量生産の研究も行われている。

 東京農業大学の徳田らはAspergillus属菌89種,Mucor属菌5種およびRhizopus属菌9種の計103菌株の糸状菌(カビ)について、どの菌が一番α-EGを生産に適しているのかを調べているx)。この研究では、Aspergillus kawachii N-3株が一番α-EGを生産するのに適しているとされている。この糸状菌は焼酎に使用される白麹菌と呼ばれるカビである。焼酎は蒸留酒であり、エキス分(不揮発性成分)であるα-EGは含まれない。このような酒で使用されている麹菌でα-EGの生成能が高いというのは正直驚きである。

 具体的にどのようにα-EGを生産するのか見ていきたい。

 パッと見では微生物を利用した物質生産には見えないかもしれない。このシステムはウォータージャケットの中に糸状菌が固定された不織布が設置されている。そこをオリゴ糖とエタノールが含まれた基質液が通ることでα-EGに変換していく構成になっている。

 この方法は微生物を酵素のように扱う方法であり、酵素を購入して使用するよりも手軽である。紹介している方法では反応温度が45℃となってるが、生の酵素をこのような温度で使用していたら何日も反応性を維持できない。しかし、微生物を使用すると、90日以上反応性を維持できる。

麹菌と清酒らしさ

 麹菌と清酒の関係について「一麹、二酛、三造」という言葉がある。これは酒造りに関しての重要性の順番である。古来より日本人は清酒製造に一番重要なのは麹であることを理解していた。これは酒造りにおいて液化・糖化という過程が一番重要だということを示している。世界の酒を見てみると、この液化・糖化という過程に工夫が感じられることに気が付くだろう。例えばビールは糖化に麦芽に含まれるアミラーゼを、中国の白酒、黄酒はRhizopus属のカビのアミラーゼを利用する(余談だが米自身のアミラーゼを利用して糖化する酒はあるのだろうか)。酵母はデンプンをエネルギー源とすることができないため、いかにグルコースまで分解するのかということに心血を注ぐのが酒造りの本質であると私は思っている。この過程で図らずも清酒らしさが生まれているとしたらそれは面白い偶然なのだと感じる。

 ちなみに、α-グルコシダーゼのような酵素はグルコースの濃度が高いと活性が落ちることが知られている。清酒は糖化とアルコール発酵が同時に進行する並行複発酵によって造られる。そのため、グルコース濃度がそこまで高くない状態で、アルコールと共存する環境が生じる稀有な酒である。この清酒の特徴的な作り方と清酒らしさを生み出した先人に感謝しながらお酒を頂こうと本稿を執筆しながら感じた。

参考文献

1)T. IMANARI and Z. TAMURA: Agric. Biol. Chem., 35, p321 (1971)

2)岡智: 日本醸造協会誌 , 72 (9)p 631 – 635 (1977)

3)岡 智ら: 農 化, 50, p463 (1976)

4)徳田宏晴: 日本醸造協会誌 , 114 (2) p79 – 87 (2019)

ABOUT ME
Kana _発酵食品と微生物ch
学生の時は花酵母の研究に関わっていたこともあります。 一応修士号は取っていますが、今は研究はしていません。文字を書くことが好きで、ブログ、YouTubeで発信をチビチビしています。 youtube(毎週金曜日更新): https://www.youtube.com/channel/UCvhO8xU9VZFwfgjdtRpxlRA