”あめこうじ”という麹をご存じだろうか。これは秋田県総合食品研究センターで開発された甘みが強く、すっきりとした味わいを特徴とする新しいタイプの麹菌である。
この麹菌はトランスポゾンと呼ばれる”動くDNA”の仕組みを利用し、育種されたものである。本稿ではあめこうじの開発を通し、遺伝子工学と微生物産業のつながりについて触れていきたい。
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“動くDNA”トランスポゾンとは
トランスポゾンとはゲノム上のある位置から別の位置へ転移することのできる可動性DNA因子のことである。
遺伝子は通常、染色体上の一定の位置に存在している。ただ、染色体の交叉や転座、欠失など、染色体の構造的変異によって位置を変えることがある。遺伝子自体が染色体から脱離したり、他の染色体に移動することはない。しかし、トランスポゾンは自ら移動する遺伝子である。
これが初めて見つかったのはトウモロコシの染色体からで、1940年のことである。また、1984年には、今のところ植物の研究としては唯一のノーベル生理学・医学賞を受賞している。
以下余談…
ゲノムプロジェクトの進行により様々な生物のゲノムが読まれるようになると、タンパク質などをコードしている、いわゆる意味のある領域というのは全体の3%以下であるということが明らかになった。そして、残りの40%はトランスポゾンが占めていることが分かっている。ちなみに、トウモロコシでは約80%がトランスポゾンもしくはそこから派生した配列であるとのことだ。
2つのトランスポゾン
トランスポゾンにはDNA型のトランスポゾン(クラスII型)とRNA型(クラスI型)のレトロトランスポゾンがある。
DNA型のトランスポゾンは自信がトランスポザーゼという酵素をコードしている。これはトランスポゾンの特徴である両端の逆向き反復配列を認識してDNAからトランスポゾンを切り出す。切り出されたトランスポゾンは染色体の別の場所へ挿入される。きれいさっぱり移動するのである。一方でRNA型のレトロトランスポゾンは染色体上に自身を残したまま別の場所へ移動する。
RNA型のレトロトランスポゾンには逆転写酵素(mRNAからDNAを合成する酵素)がコードされている。この酵素によって、自身が転写されることによって作られたmRNAが逆転写され、新たなDNAが作られる。これがゲノム上の別の場所へ挿入されることで新たなレトロトランスポゾンが作られる。
トランスポゾンと突然変異
トランスポゾンが挿入される場所にたまたま遺伝子がいればその遺伝子は破壊される。また、遺伝子上に挿入されなくても、プロモーター領域や、 シスエレメント(転写のされやすさをコントロールする領域)に挿入されることで、発現の程度や条件が代わる可能性がある。また、DNA型のトランスポゾンについては、これが抜け出すことでDNAの修復の際にエラーが起き、突然変異が起きることがある。
このような突然変異は遺伝的多様性を拡大し、生物の進化を促進してきたと考えられている。そして、現在は遺伝的変異源として注目されており、稲など様々な生物で遺伝子研究に利用されている。
トランスポゾンを利用した麹菌の育種
麹菌にはCrawlerと名付けられたトランスポゾンが存在する。これは通常の生育条件でも転移が起こることもあるが、熱や硫酸銅などのストレスにさらすことで転移が活性化することが明らかになっている。基本的には様々な生物種で勝手に活性化しないように発現が抑制されている。色々なところにポンポン飛んで生きるために必要な遺伝子に挿入されてしまうと大変なので…
余談だが、麹菌を始めとする糸状菌でこのような活動的なトランスポゾンが見つかったのはこのCrawlerが初めてである。
遺伝子操作技術と麹菌の育種
微生物の育種の方法はいくつか存在する。
まずは掛け合わせである。植物では一般的な方法である。これは特徴Aと特徴Bを足し算して特徴Cをつくるという方法である。考えようによっては無限の可能性がある育種方法である。残念なことに麹菌は有性生活環を持たない、というか発見されていないためオスとメスで掛け合わせるという方法が取れず利用できない。
そこで紫外線や発がん性物質を使用して遺伝子に傷を付け、突然変異を起こした株を選抜するのが麹菌では一般的な方法である。この方法はA-Bの育種方法である。酵母でもこのような育種が行われているが、元々持っている機能を失わせたり、フィードバック阻害を解除することで機能の強化を目指す方法である。ただ、これでは全く新しい、人の役に立つような変異を生み出すのは難しいと思われるのが課題だと個人的には考えている。
トランスポゾンを利用した育種方法については薬剤や紫外線を使用しないため、設備や難しい取り扱いがほとんど必要の無いことだろう。ただ、従来の方法の課題を解決するには至っていないと感じている。
人によって感じ方は様々だろうが、新しい機能を付与するという意味ではゲノム編集技術が食品産業でも実用化され、新しい育種方法が開発されることを期待したい。近年ではゲノム編集トマトが市場に出てきたことがニュースになった。今後、ゲノム編集トマトがどのような経緯で生まれ、市場に出るに至ったのかについても記事にしてみたい。
(現在のマイブームはバイオインフォマティクスのため、意見がかなり偏っていることに注意していただきたい)
余談:あめこうじの目指した麹菌
こうじあめは”より甘く、より白く”を目指して育種が行われた。”甘さ”と”白さ”というのは共存の難しい要素として知られている。
甘さを高めるには糖化酵素、特にグルコースを生み出す”グルコアミラーゼ”が重要である。ただ、なぜかグルコアミラーゼの活性が高い麹菌はチロシナーゼ活性も高い。チロシナーゼは褐変の原因になる酵素であり、白ければ白いほど評価が上がる発酵食品の世界では必要のないものである。
いずれチロシナーゼ遺伝子の発現調節についても調べてみたい。
参考文献
・秋田の新旧発酵文化を巡る旅 Vol.3 秋田生まれのオリジナル麹「あめこうじ」はなぜできた?(,2022年5月25日閲覧)
https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/20181213/10356/
・尾張ら:秋田県総合食品研究センター報告,19, p11-14(2017)
・小笠原ら:秋田県総合食品研究センター報告,15, p19-28(2013)
・高木 正道ら:裳華房, 新バイオの扉,p74-76(2013)
・Ogasawara, H:Fungal Genetics and Biology, 46, p441-449(2009)